ストーリー
STORY
舞台は13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。
ロハーチェックの領主コズリークは、勇猛な騎士であると同時に残虐な盗賊でもあった。ある凍てつく冬の日、コズリークの息子ミコラーシュとアダムは遠征中の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンを捕虜として捕らえる。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。
一方オボジシュテェの領主ラザルは、時にコズリーク一門の獲物を横取りしながらも豊かに暮らしていた。彼にはマルケータという、将来修道女になることを約束されている娘がいた。
ミコラーシュは王に対抗すべく同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否し王に協力する。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは、報復のため娘のマルケータを誘拐し、陵辱する。部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始めるが…
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コメント
だが、何を、誰のために祈っているのか。
その姿は、中世のボヘミアという時空を超えて、現在の私たちにも多くを訴えかける。
映像、音楽、ポエジーが三位一体となった奇跡的な作品。
凄い映画だと思いました。
21世紀の現在が喪失しているもの、それは中世だ。聖書の神意と諸王の暴虐は、中世に大きく覆っていたのである。西欧社会はこのことを忘れたふりをしつづけた。慧眼のフランチシェク・ヴラーチルはとっくにそのことに気づいて、10年をかけた本作にとりくんだのであろう。
聖欲と天罰、待ち構える隼と追い続ける狼、釘と靴と剣のエロス、侵犯と懴悔のリフレイン、神と獣帯の対同、姦淫が育む恋闕、累々たる死体と飽くなき野心、立ち止まる大鹿と迷う小羊‥‥。中世の多くの対比的寓意がモノクロームの瞠目すべきアングルに抉られて、中世の意思を鮮烈に問うている。
物語の進行はすべてト書が暗示して、映像はまるで世阿弥の神体・軍体・女体・老体・玄体が示すかのように、登場人物たちの眼光の力だけを雪中に映し出す。その編集技法は数人の守護聖人の視線のようだった。そういう忘れがたい映画である。
この伝説的なチェコ映画は、キン・フー入寂以後われわれが長い間忘れていた、映画における<大形式>を観る者に想い出させる。野卑と崇高。疑惑と熱情。積み重なる憎悪のなかで喪失されていったもの、つまり世界の神聖さを回復させるために作られたフィルムだ。